🕊温聲提示🕊

温又柔が、こんなことします、や、こんなこと書きました、とお知らせするためのブログ。

多和田葉子さんとの対談。「移民」と日本の純文学について。

現在発売中「文學界1月号」にて、多和田葉子さんと対談しました。

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多和田葉子さんの新刊「穴あきエフの初恋祭り」刊行を記念して、光栄なことに、わたしがお話させてもらうという機会を授かりました。

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多和田葉子さんは私が最も敬愛する作家のおひとりで、対談のお話をちょうだいした瞬間はほんとうに飛びあがる思いでした🦋

はじめは緊張したものの、あこがれの方はとってもチャーミングで、今、この時代に、日本語で書く喜びと可笑しみ、移動やさまざまな境界線を跨ぐことで生じる言語の混淆や、複数のことばが飛び交う時空間で書く楽しみ、そして、文学に関われること自体が既にひとつの特権である…と語らううち、緊張はとてもしあわせな興奮に変わりました。

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対談から数日後、満谷マーガレットさんが翻訳なさった『献灯使』が全米図書賞翻訳部門を受賞という朗報に胸が高鳴りました。満谷さんの英語に生まれ変わった多和田さんのニホン語を愛読する仲間が地球にちらばってると思うとしあわせです。

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編集部によって、「移民」は日本語文学をどう変えるか? と題された対談。奇しくも雑誌が発売された翌日未明、外国人労働者の受け入れ拡大に向けた出入国管理法(入管法)が採決。労働力補充のために外国人を利用したい政府の思惑に胸が張り裂ける思いです。

私は、自分を「移民」の代表だとは決して思いません。「移民」といっても、いろんなひとがいるからです。たとえば、自分は日本人の代表なのだというそぶりで、自分の意見イコール日本人の意見として語るひとがいたら、うさんくさいでしょ?

しかし、定住者から永住者になる以前の私は、3歳半から28歳までの約25年間、「家族滞在」の在留資格で日本に住んでいました。いま、私は、そのように育った自分自身を「移民」だと思っています。私は、私たちは、ここにいます。

結局のところ、小説の形で私が表現したいのは、"国民国家"という単位に束ねられた共同ファンタジー、そのファンタジーを唯一のリアルと信じ込む意識からぽろぽろこぼれ落ちるもののリアリティだ。私は私の"Immigrant Song"をニホン語で紡ぎたいのです。

くりかえします。

ただし私は、「移民」を代表しようとは思いませんし、そもそもそんなことは不可能です。ただ、私はここにいる。その私は、「家族滞在」の資格で日本で育った「移民」なのだと、ただそれだけを言いたい。

そうであるからこそ、私は何度でもうったえたい。

日本も、日本語も、日本人だけのものではない。

けれども、それを主張している時の私は、この国で生きている、生きることになった日本人とはみなされない、すべての誰かを代表しているわけではない。

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もう、忘れちゃったんだね。それとも、はじめから、とるにたらないことだった?

でも、私は、少なくとも私自身は、あの悲しみをちゃんと覚えてる。

私が書いてきたことは、そしてこれから書こうとしていることは、対岸の火事などではない。あなたの、あなたたちの足元でめらめらと燃えてる炎。権威を自負する純文学よ、"移民"の私を、日本文学の国際化や、日本語が魅力的であると宣伝する材料として、決して飼い慣らさないでね。私の志はそんなに可愛げないよ。