🕊温聲提示🕊

温又柔が、こんなことします、や、こんなこと書きました、とお知らせするためのブログ。

✍️小説「祝宴」を『新潮2022年5月号』に発表しました

2022年4月7日発売『新潮5月号』に新作小説が掲載されました。

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三国美千子さんの小説や奈倉有里さんの緊急報告との「共演」が嬉しく頼もしいです

 タイトルは「祝宴」です。

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五月女哲平さんによる爽やかなカットが素敵です

フィオナ・タンの作品〈Linnaeus' Flower Clock(リンネの花時計)〉の一節に導かれて、書いた小説です。

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2020年3月「魯肉飯のさえずり」の最終章を書きあげたその日に、「母と娘の物語は、これでもう十分に書き切ったはずだ。次は、父親のことを書かなくちゃ」と心に決めたことを鮮やかに覚えています。

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ユリイカ2021年8月号』「スクリーンの向うに見る私の〈台湾〉田村志津枝さんのお話を伺って」より。これを書いた時も、『牯嶺街少年殺人事件』が台湾で封切られてから「30年」後の夏に自分はいるのだと意識していた。

私自身の父親のみの、というよりは、この歴史の中の台湾の父(や伯父や叔父、祖父や大叔父ら)の人生について、少年や青年だった彼らよりもはるかに年上になった日本語で生きている彼らの娘や姪や孫娘として、私は小説を書くという形で近づきたかったのかもしれません。

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 とはいえ、書こうとすればするほど、書きたいとほんとうに願っていることが自分から遠ざかってゆく気がするのだけれど……越是想將它寫下,就會發現它益發遠離自己。

 そして、書きたいという衝動が鎮まった今、読まれたいという欲望もまた、静かに募ってくる。ただし、誰に対しても、そうは思わない。この小説が必要とする読者に、この小説を必要としてくれるあなたに、どうか読んでもらえますように。私が、エドワード・ヤンや李良枝と出会えたように。それがたとえ30年後になっても。今年は李良枝の没後30年でもある。

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 「小説でしか表現できない形での祝福」。編集長のことばに泣けてくる。これが自分の作品に宛てられた言葉でなかったのなら、その作品やその著者にあかるい嫉妬をさんざんと燃やしたことだろう。それぐらい、これからの私にとっても指針となり得ることばの予感。私はやっぱり小説をこそ書き続けたい。人生の中で小説によって支えられた記憶の数々が、私にも小説を書かせようと、ことあるごとに促すのだ。この欲望を信じよう。それにしても李良枝の没後30年に「祝宴」と題したこの作品を発表できてその一点だけでも本当によかった。