2022年4月7日発売『新潮5月号』に新作小説が掲載されました。
タイトルは「祝宴」です。
フィオナ・タンの作品〈Linnaeus' Flower Clock(リンネの花時計)〉の一節に導かれて、書いた小説です。
2020年3月「魯肉飯のさえずり」の最終章を書きあげたその日に、「母と娘の物語は、これでもう十分に書き切ったはずだ。次は、父親のことを書かなくちゃ」と心に決めたことを鮮やかに覚えています。
私自身の父親のみの、というよりは、この歴史の中の台湾の父(や伯父や叔父、祖父や大叔父ら)の人生について、少年や青年だった彼らよりもはるかに年上になった日本語で生きている彼らの娘や姪や孫娘として、私は小説を書くという形で近づきたかったのかもしれません。
とはいえ、書こうとすればするほど、書きたいとほんとうに願っていることが自分から遠ざかってゆく気がするのだけれど……越是想將它寫下,就會發現它益發遠離自己。
そして、書きたいという衝動が鎮まった今、読まれたいという欲望もまた、静かに募ってくる。ただし、誰に対しても、そうは思わない。この小説が必要とする読者に、この小説を必要としてくれるあなたに、どうか読んでもらえますように。私が、エドワード・ヤンや李良枝と出会えたように。それがたとえ30年後になっても。今年は李良枝の没後30年でもある。
「小説でしか表現できない形での祝福」。編集長のことばに泣けてくる。これが自分の作品に宛てられた言葉でなかったのなら、その作品やその著者にあかるい嫉妬をさんざんと燃やしたことだろう。それぐらい、これからの私にとっても指針となり得ることばの予感。私はやっぱり小説をこそ書き続けたい。人生の中で小説によって支えられた記憶の数々が、私にも小説を書かせようと、ことあるごとに促すのだ。この欲望を信じよう。それにしても李良枝の没後30年に「祝宴」と題したこの作品を発表できてその一点だけでも本当によかった。