昨年初夏、夢中で読んだ斎藤真理子さんのご著書『韓国文学の中心にあるもの』が重版。
「構造的な問題について考える余裕」と「他人への想像力」。この本を読んで以来、この二つを、自分がどんなふうに確保し、維持できるのかよく考えます。余裕と想像力。ちょっとでも油断したら、あっという間に両方とも勢いよく奪われてしまうものなので……。
『韓国文学の中心にあるもの』は、文学作品だけにとどまらず、たとえばスタジオ・ドラゴンやスタジオ・Nで製作されるドラマなど、現代韓国で旺盛に作られる魅惑的な物語の数々に横たわる、その「底力」も伝えてくれるように感じてなりません。「日々無力感を覚え、この無力感が、自分と他人への嫌悪に発展して、嫌悪感が高じると他人への想像力も弱まってしまう」(ファン・ジョンウン)。だからこそ圧倒的な力を前にした私たちの一人ひとりが、自分は微力だけれど決して無力ではない、と信じる力を取り戻させてくれるための物語が、いくらでも必要なのでしょう。少なくとも私は、しょっちゅうそのために、小説やドラマにすがってしまいます。そしてここ数年は、気がつくと韓国のものばかりを選んでしまっています。斎藤さんの本を読んでいたら、ここ最近の自分がどうしてこんなにも韓国小説(やドラマ)に魅了されるのか、よくわかるのです。今回、この本の重版を受けて、なんと帯文に私の言葉が採用されました!しかもやはり敬愛する星野智幸さんのすばらしいコメントとともに。すごい嬉しい。チョ・スンウとペ・ドゥナの『秘密の森』を愛してやまない星野さんと、また韓国ドラマの話がしたいなあ。
去年の「筆記」も添えて。