🕊温聲提示🕊

温又柔が、こんなことします、や、こんなこと書きました、とお知らせするためのブログ。

✍「私も日本人」日経新聞夕刊プロムナードより

今年の7月からはじまった「プロムナード」での連載、昨日(12・22)最終回を迎えました。「〈日本人〉の輪郭を問いなおすような連載にしたいですね」。最初の打ち合わせで、たちまち意気投合した担当記者のSさん。

www.nikkei.com

時にはご自身の個人的な体験と引き合わせて熱のこもった感想を伝えてくれるSさんが、本当に楽しそうにこの半年を併走してくださったからこそ、私も日本人なんだよ、という「主張」を、この連載の着地点にできました。Sさん、ありがとう、ありがとう、またいつか!

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偶然か必然か、藤本高之さんによる「映画で知る中東世界」では、移民・難民をめぐる映画について紹介されています。必読の記事。必見のドキュメンタリー映画『東京クルド』についても。

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私は日本人である。彼らも日本人である。私たちが日本人である……Life goes on.

 

 

 

 

📸&📰毎日新聞デジタル部取材を受けました。

mainichi.jp

取材してくださった。塩田彩記者と話し合いながら、Twitterをやっていた約七年間の自分の感情の流れを直視できて本当によかったです。とても丁寧な取材に感謝いたします。またこの場を借りて、ツイートが’悪目立ち’するたび心乱してばかりいた私を、画面の向こうから励まして私を孤立させなかったフォロワーの皆々様にも改めて感謝を。

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ところでTwitterやるのが辛くなった経緯を喋る私の経緯に関するこの記事に、炎上しやすいことばっかり書くからだろ、とか、表現者ならわかりやすく責任を語る責任があるのにTwitterのせいにするな、といったコメントが目につき、また辛くなってしまった。

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ブロックすればいい、ブロックを覚えるべきだった、という声も。

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だからやっぱりこんなことで辛いと感じる私は、やはりTwitter、さらにいえば、インターネットそれ自体が、全然向いていなかったんだな、とあらためて痛感しています。ただ、上の方の仰るように、作家として、あるいはTwitterをとおして名前をそこそこ知ってもらえてる立場として、わずかにでも「発言力」があるのであれば、それを生かさないのはもったいないし、むしろ、そうする責任が自分にはあると思っていました。でも、ある方が「温さんだけではない。海外にルーツをもつ方や、女性、いわゆるマイノリティが、安心して自由につかえない媒体のほうが問題。あなた個人が背負わなくていい」と励ましてくださって、ようやくやめる決意がつきました。私自身はやめるけれど、"それでもなお"、Twitterをとおして、これまで聞かれることのなかった小さな声をしっかり届けるために、あくまでも匿名で憎悪や悪意を垂れ流す人々の攻撃に平伏さず、発信されるべきことを発信し続ける方々を、心から敬服しつつ、支持します。

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そして、もう平気なふりはしたくないので書いておきます。「台湾人」と明記してTwitterをつかってきた最大の苦痛は、こういう人たちに一方的に注目され、勝手に絶望され、じめっと厭味を書かれることでした。私がどれだけ言葉を尽くしても、こういう人たちとわかりあうことは毎回できませんでした。私のほうが、こうした人たちの境遇や、かれらが主張する「歴史観」への理解力が足りないのかと自分なりに精いっぱい努力したつもりでしたが、努力が報われたと感じたことは残念ながら一度もありません。そして、さっき、この方のツイートで、決意が定まりました。2021年中にアカウント@Wen Yuju削除します。

 

追伸。

最後までTwitterはこういう世界だった。

https://twitter.com/TexasBronco3/status/1471663117721796608?s=20

 

 

📚英語で紡ぐ 自分たちの側から

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アルフィアン・サアット著、藤井光訳『マレー素描集』(書肆侃侃房)の書評を書きました。

https://book.asahi.com/article/14499643

華人の英語話者が中軸を担うシンガポールに生きる様々な境遇のマレー系住民の人生や生活の断片を軽やかな筆捌きで「素描」する珠玉の掌篇小説集。著者の、華人をはじめとしたその他の集団の間に生じる格差は言うまでもなく、マレー人同士の間の境遇格差をも巧みに表現するという覚悟と、それを見事に実現しているふくよかな表現力に、同時代、同世代の一作家としては、あかるい嫉妬を燃やさずにいられません。訳者の日本語が素晴らしいおかげです👏💐

🍏「日本語に住みついて」第9回が掲載されました

寒くなりましたね。みなさまが今あたたかい場所にいますように。さあ、2021年最後の「日本語に住みついて」です。9回めは「私の本 誰かの幸運に」。

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本を、たくさん、すばやく読むのは不得意でも、本を好き、と堂々と思ってていいんだよね、な一篇です。今月もきたしまたくやさんの絵が素敵です❣️ 4月から始まったこの連載も、残すところあと3回。1月、2月、3月も、大切に書き続けます。引き続きどうぞよろしくね。

✍エッセイ「見えない線」を書きました

詩人・石田瑞穂さんとその素敵な仲間たちが起ち上げた、日英バイリンガルによる国際ポエトリーサイト〝Crossing Lines〟に、エッセイ「見えない線」を寄せました🛩

medium.com

同サイトには木村友祐さんのエッセイ「赤に刻まれた傷」も!

medium.com

木村さんとの往復書簡『私とあなたのあいだ いま、この国で生きるということ』(明石書店、2020)を書いたことは、「どこのだれかが勝手にこうと決めた〈標準〉や〈規範〉の呪縛から解き放たれ、自分が自分であることの信頼を取り戻す」ことの重要さを噛みしめることでもありました。

webmedia.akashi.co.jp

 

📚なぜ読書で呼吸が整うのだろう

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オルガ・トカルチュク著、小椋彩/久山宏一訳『やさしい語り手 ノーベル文学賞記念公演』(岩波書店)の書評を書きました。

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https://book.asahi.com/article/14489550

「(トカルチュクの)境界への徹底的な懐疑は、テーマにおいても構造においても、〈中心〉(権力やヒーローやドグマと言い換えてもいいだろう)を無化しようとするそのテクストに、明確に反映されているのである」(小椋彩)

忘れられない。私が永住権を取得した日に読むためにとっておいたのはオルガ・トカルチュクだった。

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最近もしょっちゅう読書で呼吸を整えてる。

🎙12/11(土)シンポジウム「国民文学の終焉:アメリカ文学の(再)世界化、世界の脱アメリカ化から考える」

12・11(土)午後2時~ シンポジウム「国民文学の終焉:アメリカ文学の(再)世界化、世界の脱アメリカ化から考える」に参加します。シンポジウムのもようは慶応大学三田キャンパスからZOOMで配信されます。

www.tokyo-als.org

温の発表タイトルは、英語圏チャイニーズの小説に魅了されて――彼女たちと〈私〉の絆について――。

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ふふ、英語がからっきしダメな温が、何故こんな大舞台(日本アメリカ文学会東京支部12月例会)に? の秘密、わかっていただけますかねえ? 素晴らしい翻訳家の方々のおかげなのです♪

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日本語圏チャイニーズの作家の一人として、今、私がアメリカ発のチャイニーズ小説から受ける感銘を話すまたとない機会、誰よりも私が楽しみです。会員以外の方の参加可能とのことなので、ご興味ある方はぜひ詳細をお確かめくださいませ!

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ずーっとお会いしたかった吉田恭子さん(Yoshida Kyokoは英語圏の作家でもあります)、愛とユーモアたっぷりに「アメリカ?」文学を翻訳、紹介、語り続ける都甲幸治さんとご一緒できるのが最高に幸せ。この機会を私に授けてくださった有光道生さんに感謝!