🕊温聲提示🕊

温又柔が、こんなことします、や、こんなこと書きました、とお知らせするためのブログ。

🔖トニ・モリスン『青い眼がほしい』について話しました

メモ。「当時黒人文学といえば男性作家が中心で、白人社会に対する抗議や告発が主題になることが多かった。一方モリスンは同じ黒人にむかって意識を変えようと訴えているところが新しかった」(記事より)

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朝日新聞2022年8月27日夕刊「時代の栞」にて、トニ・モリスンと小説『青い眼がほしい』について、少し喋らせていただきました。

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2019年10月号「ユリイカ 」のトニ・モリスン特集のときもそうでしたが、モリスン作品の翻訳を手掛けてきた大社淑子さんのお名前と自分の名前がならんでいるのがうれしくて、クラクラしてしまいます💫

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その大社さんが仰るには、モリスンは「自分の作品は社会学の研究対象ではなく、あくまでも芸術作品として読んで欲しい」とのこと。痺れます。書いたものを芸術としてうけとめてほしい。書き手が、何らかの意味でそれを読む大多数から見て"少数派"の場合、書いたものの本質がろくに読まれぬまま、その表層のみを利用され、ていのいい研究対象にされてしまう事態は、ままあること。

むろん、芸術として読んで、というモリスンの"箴言"のようなこのことばの出処は、常に"多数派"でいられる立場の者が、芸術に政治を持ち込むな、と言うこととは根本が違います。

こんな時代だからこそなおさらに、巨匠・モリスンのことばの重みがあらためてずっしり響きます。読み手としてはより繊細な読書ができるようにと姿勢を正して。書き手としては自分の書いたものがこれからも"まとも"に読まれるようにと希望をこめて。今、モリスンのことばをわたしは受けとめます。