🕊温聲提示🕊

温又柔が、こんなことします、や、こんなこと書きました、とお知らせするためのブログ。

6・27「旅立ちのよる」@下北沢B&B、ありがとうございます。

去る6・27、小島ケイタニーラブ『はるやすみのよる』×『空港時光』W刊行記念「旅立ちのよる」にお越しくださった皆々様、遅ればせながらありがとうございました。

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pontoと名付けた音楽家×小説家による音とことばの往復書簡からうまれる演奏×朗読のパフォーマンス。

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それは、ほかでもないわたし自身が書き続ける日々を重ねる中、ときおりおとずれる幸福な時間なのだと、あらためて感じ入った夜でした。

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あの日の夜、ツイッターでつぶやいたことを自分で忘れないためにここにも転載します。

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小島ケイタニーラブさんがうたう歌や、伊藤豊さんと奏でる音響に寄り添われながら自分の書いたニホン語を声にだすときはこのうえなく気持ちよくて、ふと朗読だからゆるされてるけど、作家としては気持ちよくなってるばかりでは衰退だよね、と今夜パフォーマンスの真っ最中に急に不安になった。

一方では、わたしはわたし、と謳うための声を腹の胸の心の底から出せている心良さに救われるような思いを抱きながら、もう一方では、わたしはわたし、と謳うことが目的になってはいけない、この状態を解放と感じるまでに追い込まれたその過程を小説としてもっときちんと書かなければ、と焦燥したのだ。

運よく、わたしはわたしにとっての最良の居場所を「文学」に見出した。文学と、ニホン語とを、よろめいてばかりいる自分の杖にすることができた。だからわたしは、恵まれたこのわたしのためだけではなく、むしろ、そうではなかった無数の、まだ迷子でいるわたしたちのために、書かなくてはならない。

そのことを、あらためて思い知った。がんばろう。螺旋階段のぼるみたいに、ときおりは歌と音で包んでくれるともだちとみんなの踊り場で気持ちよくなろう。そのために一歩一歩、自分の階段のぼろう。すてきなよる、決意のよる、なのです。

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あの日、わたしたちを、わたしを見守ってくださった皆々様に感謝をこめて。また会いましょう!

🌱当日のようすを写した朝岡英輔さんの写真を3枚追加しました🌱

はるやすみのよる、についてはコチラを。掛け値無しにすばらしいアルバムです!

はるやすみのよる | 小島ケイタニーラブ

http://www.keitaney.com/haruyasuminoyoru/