🕊温聲提示🕊

温又柔が、こんなことします、や、こんなこと書きました、とお知らせするためのブログ。

✏️「日本語のなかの何処かへ」第5回めが掲載されました。

「日本語のなかの何処かへ」の第5回めが『世界8月号』に掲載されました。

原稿の内容に呼応して紡ぎ出される趙文欣さんのイラストがいつもながら素晴らしいです。

今月号のタイトルは、「日本語」が暴力を振るう時。

 ”日本人として生まれなかったアジアの作家”として、ほかでもないこの日本語で書くことを巡って、李良枝の「かずきめ」という小説に触れました。

今泉秀人さんの『台湾の少年』評と同じ号に、自分の文章が載っているのも嬉しい。

 「言語の地層」を開く、という魅惑的なタイトルが付けられた今泉秀人さんによる『台湾の少年』評が、とても素晴らしかった!
 実は私、尊敬する倉本知明さんによる見事な翻訳でこの「グラフィックノベル」が満を持して日本語の読者に紹介されはじめた頃も、どうしても警戒心が抑えきれず、この本とは少し距離を置いていました。というのも、蔡焜燦氏の弟さんである蔡焜霖さんのお名前を見た途端、それだけで、つい心が凍りついたのです。二十代の頃、今以上に無知だった私に向かって「日本に代わって台湾の統治者となった蒋介石や国民党の圧政と比べたら、日本時代は素晴らしかったというのが台湾人の本音なんだぞ」「君は台湾人なのに、そんなことも知らないのか」と教え諭そうとした人たちがこぞって”参照”にしていたある本に蔡焜燦氏は太鼓判を押していた、と覚えていたせいかその名と一文字違い蔡焜霖さんのお名前を見た瞬間、ここには書きたくないいくつかの記憶が疼くのに耐えられなくて、目を背けていたのです。しかし今回、游珮芸と周見信による『來自清水的孩子』という全四巻からなるこの繊細で濃密な「グラフィックノベル」の日本語版に対する敬意に満ちた、書物そのものの魅力をきめ細やかに伝える今泉秀人さんの書評を拝読したら、強張っていたものが緩やかにほどけてゆきました。またもや悔しい遠回りをさせられたなあと少し切ないけれど、旧植民地の末裔として旧宗主国で育ったが故のこうした過剰な緊張と警戒心もまた、私の厄介ではあるものの重要な一部。「台湾の少年」の”孫娘”の一人として、「意を尽くした」見事な日本語に翻訳された『來自清水的孩子』とこれからゆっくり向き合おうと思っています!

 また、「香港からの通信」には台湾在住の阿爸氏の文章が。「国家安全維持法」のもとで「自由に発言することができない」香港からの亡命を余儀なくさせられ、そのために一度築き上げた生活を「再構築」するための時間や労力を費やさねばならない中で「神様が私に与えてくれたすべての幸運に報いる一番の方法は、自分の能力をもう一度発揮して社会に貢献すること」と断じる。ジャーナリストとしてのそのことばの重みに、頭が下がります。

「他者を感情的に脅迫する」のは、相手と健康な関係を築くことを放棄する態度だと肝に銘じて。

 中村隆之さんによる新連載「ブラック・ミュージックの魂を求めて 環太西洋音楽文化論」も始まって胸躍る8月号。と、今月は掲載の報告が少々長くなりました。来月以降も「日本語のなかの何処かへ」の執筆がんばります。皆様もどうか健康で。