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デビュー以来わたしは、「国語」の時間に教わった日本語こそが"正しい"と思い込むのはつまらない。たとえば、私の母が話すような、カタコトの日本語に中国語や台湾語がまざりあうちゃんぽんの言葉もなかなか面白いんだよってことをずっと言ってきました。そんな母のことばを、ママ語と呼んでみたり。
けれどもわたしが「ママ語もいいよ」と言うのは、母親そのものを讃えたかったからではありません。そう、私は、厳しい父的な秩序の対極にあるような、子どものことを何もかもを許してくれる母的なものを賛美したいのではないのです。
そもそも、「母語」の"母"とは? 国民国家幻想と母性幻想って、実は複雑に巧妙に絡み合ってるんじゃないの?
そんなことをずっと考えてきたところ、信田さよ子さんのご著書『ザ・ママの研究』を読み、たいへんな感銘をうけました。わたしなりに理解すると、「ママだけの世界から一歩踏み出すことで、あなたの世界が始まる。こうして、あなたは自分の人生のスタートラインに立つことになる」ということが、この本には書いてありました。
今回『ザ・ママの研究』が、『「国語」から旅立って』とおなじよりみちパン!セシリーズだったため、私にとってはまたとないタイミングで、信田さよ子さんと「母」と「国家」をめぐって、とことん語らうという、すばらしい機会に恵まれました。
対談収録時は、長篇小説「魯肉飯のさえずり」の"初代"担当編集者・Nさんもたちあってくださり、心強くうれしかった。私のはじめての長篇、"母娘"をめぐって、いまの自分に書けること、書きたいこと、いましか書けないであろうこと、丁寧に続けてゆきたい。それが私の2019年下半期の最大の目標です💪待っててね、Nさん、Mさん、そしていま伴走してくださってるIさん!!(進行、だいぶ遅れててスミマセン…やる気はこのようにたっぷりなのよ)
対談収録ののち打ち上げの席には、詩人の文月悠光さんも駆けつけてくださり、うれしかった。ことばを大切になさる方の、ことばに対する誠実さが踏みにじられる世の中にはノーと言わなくちゃ。ノーを堂々と言わせてもらわなくちゃ。文月さん、諸々、ささやかながら、遠くから、心をこめて応援してます、この場を借りて。
↑写真は、新曜社さんから拝借!
あらためて、私との対談をご快諾くださった信田先生、全面的にご協力くださった清水檀さんはじめ、新曜社の皆々様、本当にありがとうございます。
この対談が、今年50周年を迎える新曜社さんのウェブサイトに掲載されることをしあわせに思います!
ボリュームたっぷりだったため、前篇・後篇となってますが、前篇だけでもやっぱりボリュームたっぷりです……我ながらよくしゃべるムスメだ。清水檀さんが見事にまとめてくださった原稿を読み返しながら信田さんの一言ひとことが沁みました。何度でも読みたくなる!
母親との関係について少しでも悩んだことのある皆々様、必読ですよ。しかし母について悩んだことない娘はきっと少ないはずですね。
どうか、お気のむくままに、ゆっくり少しずつ、お読みいただけたら幸いです💐
後篇は、8月中旬に更新予定とのこと。
"ママ語賛歌は母性賛歌ではない!"